入籍とは
戸籍 (こせき)とは、戸と呼ばれる 家族 集団単位で国民を登録する目的で作成される公文書である。日本では、 戸籍法 に定められている。
以下に述べるように、 東アジア 諸国特有の制度である。
概要
古代以来の 中国 の 華北 社会では 戸 (こ)と呼ばれる形態の緊密な小家族が成立し、これが社会構造の最小単位として機能していた。そのため政権が社会を把握するためには個々の戸の把握が効果的であり、支配下の民の把握を個人単位、あるいは族的広域 共同体 単位ではなく、戸単位で行った。この戸単位の住民把握のために作成された文書が戸籍である。中華王朝や 漢族 世界が華北から拡大しても、政権の民衆把握は戸籍を基礎として行われ、さらには中華文明から政治的、文化的影響を受けつつ国家形成を行った日本、朝鮮半島国家など周辺地域の国家でも戸籍の制度は踏襲された。
日本では 律令制 を制定して戸籍制度(→ 古代の戸籍制度 )を導入した当時、在地社会の構造は華北のように戸に相当する緊密な小家族集団を基礎としたものではなかった。 平安時代 になって律令制衰退後、朝廷による中央政府が戸籍によって全人民を把握しようとする体制は放棄され、日本の在地社会の実情とは合致しなかった戸籍制度は、事実上消滅した。地域社会の統治は現地赴任 国司 筆頭者( 受領 )に大幅に権限委譲、さらに受領に指揮される 国衙 では 資本 力のある有力 百姓 のみを公田経営の請負契約などを通じて把握し、彼らを 田堵 ・ 負名 とし、民衆支配はもっぱら彼ら有力百姓によって行われるようになった。その後、上は貴族から下は庶民に至るまで、 家 (いえ)という拡大家族的な共同体が広範に形成されていき、支配者が被支配者を把握しようとするとき、この自然成立的な「家」こそが把握の基礎単位となった。全国的な安定統治が達成された 江戸時代 の 幕藩体制 下でも、住民把握の基礎となった 人別帳 は、血縁家族以外に遠縁の者や使用人なども包括した「家」単位に編纂された。従来の 封建 的社会構造を打破し、中央集権的 国民国家 体制を目指す 明治維新 において、「家」間の主従関係、支配被支配関係の解体は急務であった。新政府は戸籍を復活させて「家」単位ではなく「戸」単位の国民把握体制を確立し、「家」共同体は封建的体制下の公的存在から国家体制とは関係のない私的共同体とされ、「家」を通さずに国家が個別個人支配を行うことが可能となった。このように戸籍制度の復活は封建的な主従関係、支配被支配関係から国民を解放するものであったが、完全に個人単位の国民登録制度ではないため、婚外子、非嫡出子問題などの「戸」に拘束された社会問題もまた存在する。そのため、現代ではより個人が開放された制度を目指して、戸籍制度を見直す議論も存在する。
各国の戸籍制度
戸籍制度は 東アジア...






