運勢とは
運 (うん)とは、その人の 意思 や 努力 ではどうしようもない巡り合わせを指す。
運が良い(幸運)とは到底実現しそうもないことを、偶然実現させてしまうことなどを指す。運が悪い(不運)とは、楽しみにしていた 旅行 の当日に、発病してしまうことなどを指す。 占い や、 神社 ・ 寺院 の おみくじ は、この運を予言する力があるとされる。
歴史
運のとらえ方には歴史上いくつかの種類がある。
決定論 の一つである因果的決定論に立てば、実は幸運や不運の意味はなく、過去や未来はすべて決定されているという考え方になる。 ラプラスの悪魔 に代表されるような存在によって結果はすべて見通されているということになる。
現在、決定論は ハイゼンベルグ の 不確定性原理 によって否定されており、運は現在 確率論 が扱う事柄になっている。
意志と運
意志の力や祈りで運(幸運・不運)を変更できるとする主張が多い。歴史上数多くの実験が繰り返されており、またアメリカなどのカジノでは常に情報を集計している。意志の力や祈りなどで運を変更できれば良いとする気持ちは多くの人間が持っている感情であるが、そのような事が可能であるとする証拠は一切ない。また、事前に運を知ることができるとする主張も同様である。小説や漫画などの世界では、このようなことが可能であることを前提とした物語が多い。
人の人生は生まれたときから、運に支配されていると言われており生年月日、出生地、性別、血液型、容姿などは運により決定づけられるとする話が多いが、このような話には曖昧さがつきまとう。 決定論 的に人間の一生の運勢が出生時に決まっているのか、それとも生まれた時に大体の運勢は決まっていて細部で運勢が上下するのか、また運勢が決定されるメカニズムの問題等、多数の問題点がある。
運の流れ
運には「 流れ 」があるとする主張がある。つまり、運が良くなると良い傾向が続き、運が悪くなると悪い傾向が続くとする主張である。 麻雀 などの ギャンブル で多用される考え方である。だが、これは 錯覚 の一種であるとする主張もある。人間は ランダム な現象からも一定の法則を錯覚により見いだしてしまう。人間の主観ではなく、冷徹な統計学処理においてはカジノでの統計でも運の流れのようなものは見いだされていない。
この運の流れを事前に知ることができるとする主張もあり、人々を惹きつけるが、このような行為が可能であるとする確証は一切無い。
ここで良く誤解されるのは運の偏りである。完全にランダムな現象でも、そこに一定の傾向を見いだすことができるのである。たとえば、1枚のコインを投げて地面に落とし、 裏 か 表 かどちらが出るかを見る行為でも、双方の面が出る確率がそれぞれ0.5であっても
- 裏、表、裏、表…
などのように均等に表裏が均等に現れることは逆に少なく、どちらか一方に偏りが起きる。実際には
- 裏、表、表、表、裏、裏…
などのように現れることがほとんどである。人間はこのランダムな現象の「ゆらぎ」に規則性を見いだしてしまうのである。実際にプログラマに 乱数...






